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わかりやすい安全保障・軍事入門

ニュースなどで聞くけど難しいと感じる軍事や防衛、安全保障などについて入門者向けにわかりやすく解説していきます。たまに軍事のマニアックなネタや軍事に関する歴史なども解説。

米海軍特殊部隊(Navy SEALs)史上で最多の死傷者数を出した「レッド・ウィング作戦」とは

戦争史 近代史

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アメリカ軍はこれまで、中東やアフリカなどで特殊部隊を派遣する作戦を何度も行ってきました。

特にアフガニスタ紛争においては、テロリストのターリバーンの排除を精力的に行っていました。当然、その全ての作戦が成功したわけではなく、失敗した作戦は何度もあります。

 

その中でもアメリカ海軍特殊部隊、通称 NavySEALs(ネイビー・シールズ)の創世以来、最多の死傷者数を出した最悪の作戦失敗と呼ばれる「レッド・ウィング作戦」を紹介します。

この作戦はSEALsの隊員が、大多数のターリバーンに包囲されて、たった一人だけが生還し、映画「ローン・サバイバー」の実話でもあります。

レッド・ウィング作戦とは?

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出典:https://cmes.arizona.edu/sites/cmes.arizona.edu/files/afghanistan-map.jpg

アメリカ軍は、アフガニスタンにあるクナル洲の山岳地帯周辺を拠点にしているターリバーン幹部の一人、「アフマド・シャー」の排除を計画していました。

作戦にはNavy SEALs・チーム10に、「アフマドー・シャー」が潜伏していると思われる山岳地帯の区域に偵察に向かわせ、その場所を特定し、別に控えていた海兵隊を誘導することでした。

また、可能であれば「アフマド・シャー」の排除も任されていました。

偵察に向かわせたSEALs隊員は、「マーカス・ラトレル一等兵曹」、「マシュー・アクセルン二等兵曹」、SEAL・SDVチーム1の「マイケル・P・マーフィ大尉」、SEAL・SDVチーム2の「ダニーディーツ二等兵曹」の4名です。

 

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出典:http://www.darack.com/sawtalosar/index-old-jan15-08.php Sawtalor Sar Mountain(サウテロ山)

2005年の6月27日の夜間未明に作戦は開始されました。バグラム空軍基地から、マーフィー大尉率いる4人のSEALs隊員を乗せた陸軍の「第160特殊作戦航空連隊」のMH-47ヘリコプター2機が飛びたちます。

サウテロ山南側に到着すると、マーフィー大尉達4名を降ろします。マーフィー大尉達は、目標までは2.4km先にあり、それを徒歩で移動します。

この時、ヘリコプターにも他のSEALsのQRF(即応部隊)も乗っており、マーフィー大尉達を降ろすと、QRF部隊はジャラーラーバード前線基地(ジャラーラーバード空港)に向かい、マーフィー大尉達が偵察を終えるまで、そこにいる海兵隊待機します。

マーフィー大尉達4名が目標地点付近に到着すると、QRF部隊は再度バグラム空軍基地に戻り待機します。

山羊飼いに接触

マーフィー大尉達が、目標地点に向かい近づくと3名の現地の山羊飼いと接触してしまいます。

作戦内容がバレてしまうことを恐れたマーフィー大尉達は拘束して、ジャラーラーバード前線基地にいる司令に無線連絡をして、指示を仰ごうとします。

しかし、場所は電波が届きにくい山岳地帯であり、衛星電話を使っても通信連絡ができません。

いくら作戦がバレてしまったとはいえ、山羊飼い3名は非戦闘員であるため、交戦規則に基づいて排除することができません。マーフィー達は、やむえず現場の判断で拘束を解いてしまいます。

作戦が危機的状況になったと判断したマーフィー大尉は、退却ポイントまで後退することを決めます。

山羊飼いに知らされ、アフマドーシャー達の包囲

退却ポイントまで後退を開始すると、山羊飼いはアフマドー・シャーに知らせられ、マーフィー大尉達4人はアフマド・シャーとその部下達に追われることになります。

アフマド・シャー達の部下は150名以上もいたと言われ、RPK軽機関銃AK47RPG-7対戦車ロケットランチャー、2B9 82mm自動迫撃砲と、重装備で武装をしていました。

必死の後退をしながらも何度も連絡を試みる

激しい銃撃戦をしながら何とか後退するも、マーフィー達4名はサウテロ山北東のシューレック渓谷側に移動を余儀なくされてしまいます。

その間に何度もジャラーラーバード前線基地に衛星電話や無線基地で連絡を試みようとするも、通信環境が悪くて全く繋がることはありませんでした。

ようやく連絡が繋がるも、応援のQRF(即応部隊)も全滅

マーフィー大尉は、衛星電話によりジャラーラーバード前線基地への連絡をようやく成功させ、応援を要請するものの、その直後に戦死してしまいます。

バグラム空軍基地からは、「第160特殊作戦航空連隊」の2機のCH-47ヘリコプターが、チーム10指揮官代行のエリック・クリステンソン少佐率いる8名のSEALs隊員であるQRF(即応部隊)を乗せ、現地へ向かいました。

しかし、ヘリコプターから隊員を降下させる際は、本来はアパッチ(AH-64)などの攻撃ヘリを護衛に付けなければいけませんが、この日は護衛の攻撃ヘリはいませんでした。

原因は、直前に緊急の出動がかかってしまい、バグラム空軍基地には攻撃ヘリが一機もない状況でした。

降下地点で隊員をロープ降下する直前で、アハマド・シャーのターリバーン兵から「RPG-7 対戦車ロケットランチャー」の攻撃を受け、ヘリは撃墜されてしまいます。

唯一に一人だけのSEALs隊員が生き残る。 

これにより、「第160特殊作戦航空連隊」の隊員8名、ヘリに乗り込んでいた即応部隊(QRF)のSEALs隊員8名の合計16名全員が戦死してしまいます。

後に偵察のSEALs隊員3名も死亡し、唯一マーカス・ラトレル一等兵曹が生存します。

マーカス・ラトレル一等兵曹は、多発外傷と骨折をいたるところでしていながらもアハマド・シャーから逃げ続けます。

地元民に匿われ、命を救われる

マーカス・ラトレル一等兵曹は、逃げ続けながらも途中で意識不明に陥ってしまいます。

その後、意識を取り戻した所で、偶然に地元のパシュトゥン人の村人に遭遇します。

それがモハメッド・グーラブという方であり、グーラブ氏は「パシュトゥーンワーリ」というパシュトゥン人の2000年以上続く掟に従い、ラトレル一等兵曹を村に保護し、アフマド・シャーたちから匿います。

「パシュトゥーンワーリ」とは、「敵から追われている者を、自らの命を懸けて助けよ」というものであり、モハメッド・グーラブ氏の助けがなければ、確実にアフマド・シャー達に殺害されていました。

ラトレル一等兵曹は6日間も匿ってもらい、後にアメリカ軍に救出されて奇跡の生還を果たします。

この際、アメリカ軍は周囲へのターリバーンへ空襲による攻撃を行ったものの、アフマド・シャーの殺害は行えませんでした。

アフマド・シャーは、2008年にパキスタンに逃亡するものの、後にパキスタンの警察によって射殺されています。

「レッド・ウイング作戦」の真実と嘘

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出典:http://www.vocativ.com/world/afghanistan-world/navy-seals-savior-marked-death-taliban/

たった1人だけ生き残った奇跡であり、現地民に助けてもらった感動とも思える話ですが、実はこの話には嘘があると言われています。

マーカス・ラトレル一等兵曹は帰国後、この「レッド・ウィング作戦」の体験を元にした回顧録「アフガン、たった一人の生還」という本を出版します。その後、この本を原作とした「ローン・サバイバー」という映画が公開されることになります。

 

ラトレル一等兵曹を助けたことで、グラーブ氏はターリバーンに命を狙われるものの、ラトレル氏が資金援助をしたり、ラトレル氏はグラーブ氏に亡命保護を勧めたり、グリーンカードを取得できるよう援助をし続けます。

映画「ローン・サバイバー」が公開されることが決まり、プローモーション活動によって、モハメッド・グラーブ氏がアメリカに招かれてラトレル一等兵曹と再開を果たします。

ラトレル一等兵曹が書いた回顧録「アフガン、たった一人の生還」を通訳者に翻訳してもらい読んでみると、書かれている内容が事実と違う点が幾つかあることを知ります。

 

  • アハマド・シャーとその部下達は、ラトレル氏SEALsの偵察チームが夜間に山に降下したことを既に知っていた
  • 翌朝、アフマド・シャー達は山の捜索を始める。SEALsの偵察チームが山羊飼いと接触している所を発見する。
  • アフマド・シャー達は、山羊飼いが居たことで銃撃をためらい、山羊飼いが離れる機会を待ってから、銃撃を始めた
  • グラーブ氏がいた村人では、誰もが山からの銃撃戦の発砲音を耳にしており、銃撃戦はすぐに終わった。
  • ラトレル一等兵曹が保護された時、持っていた11のマガジンは未使用だった
  • アフマド・シャーは重要幹部ではなく、ターリバーンの中でも8〜10人程度の小さな組織のリーダーでしかない。
  • SEALs偵察チームを攻撃した民兵は150名以上だと予測されていたが、実際は8〜10人程度と少数。交戦中に、アフマド・シャー達はビデオカメラを回しており、その2台のビデオカメラの映像が証明している。
  • SEALs偵察チームは50人以上のアフマド・シャー達の部下達を射殺したことになっている、後に現地で戦死者捜索を村人と米軍で行っても、アフマド・シャーの部下達の犠牲者を一人も発見できなかった。

 

モハメッド・グラーブ氏は上記のことをラトレル一等兵曹に指摘すると、ものすごい激怒したそうです。以下に詳しいことを載せている方がいます。

news.militaryblog.jp

それ以来、二人は会わなくなったものの、帰国後グラーブ氏は幾度もなくターリバーンから警告と襲撃を受けます。ターリバーンに怯えながら、ラトレル氏以外の協力者達に助けられ、現在はアメリカテキサス州フォートワースで家族と一緒に住んでいるそうです。

 

グーラブ氏は後にこう語っています。

「ラトレル氏を助けことは公開していない。しかし、映画を助けるためにしたことは公開している。いつの日か、彼が真実を話すことを願う。」

 

 

上記のことが本当がどうか真実はわかりません。真実だとしても、ラトレル氏だけでなく、アメリカ海軍側としては、最多の死傷者を出した作戦失敗であり、全貌を明かしたくなかったのかもしれません。これはアメリカ海軍の利権にも関わる問題でもあるかもしれないからです。

しかし、アメリカ海軍側が関わって無かったとしても、多大な犠牲を出した内容で、利益を得るラトエル氏には少しも残念にも感じました。

 

映画になった「ローン・サバイバー

マーカス・ラトエルの回顧録「アフガン、たった一人の生還


参考資料 

news.militaryblog.jp

 

アフガン、たった一人の生還 [ マーカス・ラトレル ]

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